兵庫県豊岡市にある出石は、但馬(現在の兵庫県北部)の小京都とも呼ばれ、城下町の名残のある街並みが魅力です。
そんな但馬で最も格式高いとされる一之宮の「出石神社」は、古くから「いっきゅうさん」の呼び名で親しまれてきました。
また「古事記」「日本書紀」にも名を連ねる山陰有数の由緒ある神社。
泥の海だった但馬地方を、岩山を開いて肥沃な土地にしたという「天日槍」をご祭神とすることから、「但馬開発の神」として土木関係者から信仰を集めるほか、子宝や安産の祈願に訪れる参拝客も多いそうです。
敷地内には「禁足地」と呼ばれる聖域があり、足を踏み入れることはもちろんですが、草木を刈り取ることも禁止されています。
【ご利益】土木の工事安全・繁盛、子宝、安産のご利益があるとされる
かつて泥の海だった但馬の地を、岩山を開いて豊かな土壌へと変えたとされる「天日槍」をご祭神とすることから、「但馬開発の神」として土木関係者から信仰を集めてきました。
現在でも多くの関係者の方が、工事の安全を祈願するために参拝されているそうです。
また、豊岡市といえば子宝の象徴であるコウノトリの保護、増殖の取り組みをし、
人工繁殖に成功したことで有名。
「出石神社」では、コウノトリの巣が入ったお守りがあります。
コウノトリは夫婦仲が良いので、子宝や安産のご利益が期待できるとか。
平安朝の鳥居の遺物
朱が鮮やかな八脚門の神門の脇に、開元通宝(中国の唐代に鋳造された貨幣)などの古銭と共に鳥居の一部がおかれています。
こちらは、昭和8年の出石川改修のときに、川底から発掘された平安時代のものだといいます。
奈良・平安時代の頃、第一鳥居は狭間坂(出石町片間)に、第二鳥居は鳥居(出石町鳥居)に建っていたと伝わりますが、発掘されたのは第二鳥居の遺物とされ、鳥居の地名の由来ともなっているそうです。
なお、発掘された場所は、「出石神社」からおよそ1キロ離れていることから、当時の神域の広大さがうかがい知れますね。
また、「旧鳥居残欠」として「出石町指定文化財」とされています。
黄色と朱色が鮮やかな「末社」と「禁足地」
社殿が黄色の末社「比賣神社」には、「天日槍」の妃である「麻多烏比売命」、朱色の末社「夢見稲荷神社」には「宇賀能魂神」がまつられています。
その奥には石柱に囲われた聖域「禁足地」(約300坪)があります。
ご祭神「天日槍」のお墓とも、古代の祭祀場の跡とも伝わり、足を踏み入れることはもちろん、草木を刈り取ることも禁止されています。
もし入ると祟りがあるといわれているそうです。
一年の幸せを願う「但馬五社めぐり」
「但馬五社」とは、「出石神社」を含めた絹巻神社・小田井神社・養父神社・粟鹿神社の総称で、その昔、但馬地域を切り拓いたとされるご祭神をおまつりしています。
お正月にこちらの五社をめぐると大変ご利益があるとされ、多くの参拝者でにぎわうとか。
初詣のみでなく、厄除けや入学祈願に訪れる方も多いそうです。
各神社間は約12km、 それぞれの神社には「但馬五社めぐり」のスタンプ台紙がおいてあります。
【所在地・アクセス】但馬の小京都といわれる出石に鎮座
<所在地・電話番号>
〒668-0204 豊岡市出石町宮内99
TEL:0796-52-2440
<アクセス>
■電車をご利用の方:
・JR山陰本線「豊岡駅」から全但バス「出石」行き乗車(約25分)
・「鳥居」バス停下車徒歩(約10分)
■車をご利用の方:
・舞鶴若狭自動車道「福知山IC」から国道9号
・福知山「野花」交差点を右折
・国道426号を経由で約40km
*無料駐車場:約30台収容
【ご祭神・ご由緒】但馬開発の祖神「天日槍伝説」の中心
【ご祭神】
<天日槍>
<出石八前大神>
「天日槍」は、但馬開発の祖神とされる神様。
新羅の国の王子として生まれた「天日槍」は、妻を追って日本に渡来し、泥水が充満する当時の但馬の地を豊かな土壌へと変えたという伝説があるそうです。
また、鉄の文化を大陸から持って来られた神として、関係業界から崇敬を受けています。
「天日槍」が新羅の国よりお持ちになった珠二貫、浪振比礼、浪切比礼、風振比礼、風切比礼、奥津鏡、辺津鏡の「八種の神宝」を神格化してまつったのが、もう一柱のご祭神「出石八前大神」とされます。
なお、古事記と日本書紀でこの神宝は少し異なる伝承となっています。
【ご由緒】
創建年代は定かではありませんが、奈良時代にはすでに山陰地方有数の大社であったとされます。
平安時代にまとめられた「延喜式神名帳(官社に指定されていた全国の神社一覧)」には、「伊豆志坐神社八座」の名で記されています。
但馬国一之宮として崇敬されてきましたが、戦国時代に入ると「豊富秀吉」により社領を没収されました。
江戸時代には出石城主歴代の庇護を受け復興し、小出、仙石両氏が社殿を造営したとされます。
1910年に社殿を焼失しましたが、1914年(大正3年)に再建。
また、社宝として、国の重要文化財の脇差(武士が腰に差す大小2刀のうち小刀の称)のほか、歴代領主の甲冑や古文書などを後世に伝えています。
【社務所受付時間】
午前9:00〜午後5:00
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・社務所にて:午前9:00〜午後5:00
・御朱印代:¥300
【主な祭礼】
幟まわし
毎年5月5日には、「天日槍」の但馬開発にまつわる祭り「幟まわし」が開催されます。
「天日槍」が泥水の底にあった但馬地方の干拓に成功し、大きなのぼりを立てて宮内に帰還したとされますが、その時の道中姿を模したものと伝わります。
宮内少年会の子供らが、そろいの衣装に身を包み、6m近い様々な絵柄ののぼりを立てまわすというもの。
竹ぼらの音に合わせて神社の前でのぼりをまわしたあと、その年に男の子が生まれた宮内の家々をまわり、健やかな成長と五穀豊穣を願うそうです。
まとめ
「いっきゅうさん」の愛称で呼ばれている「出石神社」は、「古事記」「日本書紀」にも名を連ねる山陰有数の由緒ある神社です。
ご祭神は、新羅から渡来したとされる但馬開発の神、「天日槍」と、日本に渡るときに携えたという八種の宝「出石八前大神」がまつられています。
但馬の土地を開発したことから、古くより土木・建設業関係者から崇敬を集め
今では子宝・安産のご利益を授かりに訪れる参拝客も多いそうです。
敷地内には、「天日槍」のお墓とも伝わる、約300坪の「禁足地」があります。
石柱に囲われたその聖域に足を踏み入れると、祟りがあるとか。
天日槍伝説の中心となる神秘的な「出石神社」。
出石の美しい城下町の散策とともに、訪れてみてはいかがでしょうか。