氷川女體神社、鳥居 ©2019 仰木一弘 with LeicaQ

さいたま市緑区にある氷川女體ひかわにょたい神社」は、かつて龍神様が棲んでいた沼という伝説がある「見沼」のほとりに鎮座する古社。

そして、同じさいたま市の大宮区「大宮氷川神社」の男体社に対して、女体社とされています。

それは、ご祭神の「稲田姫命いなだひめのみことが「大宮氷川神社」の主祭神である「須佐之男命すさのおのみこと」の妻であることに由来しているそうです。

「女体社」であることから、女性の願いを叶えていただけるご利益があるとされ、女神に願い事をお届けする巫女人形をいただくことができます。

社務所には、願い事がかなった後に納められた人形が、色々な着物・服を着せられ並べられています。

 

【ご利益】女性の願いに関わるご利益がさずかれる

当社が女体社であることから、「恋愛成就」「良縁祈願」「子孫繁栄」「安産」など、女性の願いを叶えていただけるご利益があるそうです。

社務所には、全国で唯一の願いを叶えてくれる「巫女人形」があり、そのご利益は絶大と言われています。

お願いごとが叶ったら着物を着せてお礼参りをし、巫女人形を納めるそうです。

 

龍神様をおまつりしているパワースポット「竜神社」

見沼は、かつて広大な沼で「御沼」とも称される神沼であり、龍神様が棲んでいたという伝説があります。

そのような伝説にちなんだ龍神様をおまつりしている「竜神社」。

この地では、14世紀頃から、見沼の一番深いところに神輿みこしを乗せた船を繰り出し、沼の主である龍神様をおまつりする祭祀さいし「御船祭」を当社が執り行っていたとされます。

ところが、享保12年(1727年)に8代将軍「徳川吉宗」の政策で見沼は開拓され「見沼田んぼ」になってしまいました。

その後、広大な沼地は無くなってしまいましたが、再びこの干拓地に見沼に見立てた池が掘られ、幕府が出島を造ってお祭りの場を残してくれたことから磐船祭いわふねまつりとして続ける事ができたそうです。

また、見沼の龍神様は開拓とともに天に昇り、今でもこの辺りを見守っているとされています。

 

見沼とは切り離せない重要な「磐船祭祭祀遺跡」

鳥居の反対側にある「見沼氷川公園」の一画には、前述した「磐船祭」が行われていた場所「磐船祭祭祀いわふねまつりさいし遺跡」が残っています。

実際にここで祭祀が行われたのは、江戸時代中期から明治時代初期までの短い期間ですが、当社の歴史を伝えるこの遺跡は、保存状態も良く、文書や記録も残されていることから、史跡としての価値が高いといえます。

 

古社を伝える社叢とコブのある「ご神木」

埼玉県より「ふるさとの森」の第一号として指定されている社叢しゃそう(神社に茂っている木)は、埼玉では珍しい暖地性の常緑広葉樹林じょうりょくこうようじゅりん(落葉する時期のない広葉樹からなる森林)となっていて、いにしえの姿を伝えています。

こちらは、「明治神宮」の社叢の設計を参考にしたそうです。

また、社務所横にあるご神木には、不思議な形状の木のコブがあります。

こちらのコブが、まるで熊の顔のように見えることから、テレビなどのメディアが取り上げたことで話題となり、パワースポットとしても知られています。

 

【所在地・アクセス】「見沼氷川公園」と隣接

【所在地・アクセス】

〒336-0916 埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1
TEL:048-874-6054

 

【アクセス

■電車をご利用の方:

・JR「浦和駅」または「東浦和駅」より、国際興業バス「さいたま東営業所行き」にて「朝日坂上」下車、徒歩約5分

*バスの所要時間:浦和駅から行く場合は約25分、東浦和駅から行く場合は約10分

 

■車をご利用の方:

・東北道「浦和IC」から国道463号経由して約10分

*神社には駐車場がありませんが、近くに「見沼氷川公園」の駐車場(無料)があります。

 

【ご祭神・ご由緒】見沼の開拓歴史とのつながりがある

【ご祭神】

主祭神には、稲田姫命いなだひめのみことがおまつりされています。
他に、「櫛名田比売くしなだひめ」、「奇稲田姫くしいなだひめ」などとも表記されます。

古事記や日本書紀でその伝説には違いがありますが、八岐大蛇ヤマタノオロチ退治の説話で登場し、生贄いけにえになっているところを須佐之男命すさのおのみことに救われ妻となった女神です。

稲作をもたらし農業を創った神とされ、五穀豊穣、縁結び、夫婦和合、衣食住の守護などのご利益があるとされています。

さらに、お二人の御子または孫とされる縁結びの神大己貴命おおなむちのみことと、その奥様三穂津姫命みほつひめおみことの2柱も配祀はいし(主祭神と縁故のある他の神をまつること)されています。

 

また、「大己貴命」は、「大宮氷川神社」「氷川女體神社」の中間に位置する「中山神社(古くは中氷川神社)」に主祭神としておまつりされています。

それぞれの主祭神の関係から、三社で一体の「氷川神社」を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していたとされています。

そして、こちらの三社は龍神伝説で結ばれ、さらに一直線上に鎮座しているのです。

これは、太陽は夏至に「大宮氷川神社」に沈み、冬至に「氷川女體神社」から昇るという、稲作で重要な暦を把握するための意図的な配置といわれています。

 

【ご由緒】

社伝によると、第10代「崇神すじん天皇」の時代(紀元前97年~紀元前30年)に出雲から勧請かんじょう(分霊を他の地に移してまつること)して創建したと伝えられています。

前述したように、当社は、「大宮氷川神社」、「中山神社」とともに見沼と深い関係にありますが、もともとこの地域は水郷地帯であり「見沼」は「御沼」、「神沼」と呼ばれていました。

 

そして、古くから「氷川神社」は農業神として信仰を集め、荒川・多摩川流域には「氷川神社」と呼ばれる神社が220社を数えており、神社と水・農業との関係が深いということがわかります。

見沼を中心に広大な神域を有し、荒川流域に広まった氷川信仰でしたが、その総本社である「大宮氷川神社」は、古くから朝廷にも名前が知られ、武蔵国の一之宮として崇敬を集めていたそうです。

当社が武蔵国一之宮を称するのは、三社一体の「氷川神社」の説により「大宮氷川神社」が一之宮である事から、当社もそれに含まれると解釈したものとされています。

 

江戸時代には、「徳川家康」により50石の朱印地しゅいんち(神社の領地として確認された土地)が寄進され、4代将軍「 徳川家綱いえつな」によって社殿が造営され、本殿は埼玉県指定有形文化財となっています。

このように、徳川将軍家からも氷川信仰の重要な一社として庇護され、崇敬を集めました。

 

「武蔵野の正倉院」

中世以降は、武家からの崇敬を集めており、 鎌倉北条氏、小田原北条氏などにゆかりある書物や宝物が多く所蔵されています。

中でも鎌倉時代に「北条泰時ほうじょうやすとき」が奉納したと伝わる三鱗文兵庫鎖太刀みつうろこもんひょうごぐさりたち国の重要美術品にも認定されています。

他にも13~14世紀の中国産とされる牡丹文瓶子ぼたんもんへいし、室町時代に奉納されたと伝わる「氷川女體神社神輿」、 1333年~1338年にかけて写経された紙本墨書大般若波羅蜜多経しほんぼくしょだいはんにゃはらみたきょうは、埼玉県指定有形文化財です。

さいたま市の有形文化財など数多くの宝物や書物を所蔵している事から「武蔵野の正倉院」「埼玉の正倉院」と称される事があります。

保護の観点から一般公開はされていませんが、古くから崇敬を集めていたとわかる貴重な品々となっています。

 

【社務所受付時間】

午前9:00~午後4:00

 

【御朱印】

・御朱印代:¥300

金色のフクロウの印がされ、朱だけではない珍しい御朱印として人気があるそうです。

ちなみにフクロウは神社にやってくるマスコットのような存在ということです。

※平日は、神職の常駐がないため書き置きになる事があります。

 

氷川女体神社 御朱印 by.仰木一弘

 

【主な祭礼】

祇園磐船龍神祭

5月4日

見沼に船を漕ぎ出して行っていた「御船祭」が江戸時代に干拓されて行えなくなり、その代わりの「磐船祭」も明治初期に一時途絶えたとされます。

それが昭和57年から祇園磐船龍神祭ぎおんいわふねりゅうじんさい」として復活されました。

古代より見沼に対する人々の熱い想いと共に、崇敬されてきた事を物語っているようです。

 

まとめ

かつて広大な沼だった見沼のほとりに鎮座する「氷川女體神社」ですが、「氷川神社」の総本社である大宮の「氷川神社」を男体社とし、それに対する女体社という位置づけです。

そして、氷川信仰を知る上でも重要な一社といえます。

江戸時代の頃からあまり変わらない境内や社殿・社叢など、古き姿を伝える神社であり、貴重な文化財を多数所蔵することから「武蔵の正倉院」とも呼ばれています。

また、ご祭神の「稲田姫命いなだひめのみこと」は、「須佐之男命すさのおのみこと」に助られて妻になった神様のため、恋愛成就や子宝祈願など女性の願い事に関わるご利益があるとされています。

さらに、龍神さまのパワーをさずかることができるパワースポット「氷川女體神社」に足を運んでみてはいかがでしょうか。

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