丹生都比売神社、鳥居©仰木一弘 wih LeicaQ
和歌山県の高野山と言えば、「弘法大師空海」が開いた真言密教の聖地として名高い山。
そんな高野山の中腹にある「丹生都比売神社」は、1700年前の創建と伝わる古社で、全国の丹生都比売大神をまつる神社の総本社です。
「弘法大師空海」がご祭神から神領を授かり、高野山を開いたことから真言密教の守護神としてあがめられ、神仏融合の始まりの神社として知られています。
鎮座するのは、田園風景が広がる標高450mの高原の盆地「天野の里」。
「にほんの里100選」にも選ばれ、随筆家・白洲正子さんの著書「かくれ里」では、神々が住む高天原に例えらるほど。
絶好のフォトスポットでもある「輪橋」や「楼門」、日本一の春日造のご本殿など美しい建造物が並ぶ境内は、国の史跡として登録されています。
【ご利益】あらゆる災いを祓い退け一切のものを守り育ててくださる
神社の名前の由来にもなっているご祭神「丹生都比売大神」の「丹」には、朱砂、硫化水銀の鉱石から採れる「赤色の鉱物」や「赤色の土壌」という意味があります。
その鉱脈があるところに「丹生」の地名と神社があり、朱砂を支配する一族が「丹生都比売大神」をまつったとされます。
古くから朱(赤)には魔よけの力があるとされてきたことから、悪いものを退ける強い女神として信仰されてきました。
また、あらゆる災いを祓い退け、一切のものを守り育ててくださると伝わります。
さらに、ご本殿の第一殿から第四殿には、それぞれに4柱の神様がおまつりされているため、多くのご利益があるとされます。
「丹生都比売大神」は、不老長寿、病気の回復、農業などのご利益、「高野御子大神」は、幸福への導きの神とされ、人生を導いてくださいます。
また、「大食都比売大神」は、あらゆる食物に関する守り神であり、食に関するご利益、そして、「市杵島比売大神」は財運と芸能の神であることから、商売繁盛のご利益が期待できます。
神様が渡るための橋とされる「輪橋」は必見!
鳥居をくぐると、すぐ目を引くのが大きく反り返った朱色の橋「輪橋」です。
こちらは、雑誌やパンフレットなどによく掲載される太鼓橋で、多くの参拝者の方が撮影されるほどの人気のスポット。
神域と人の領域を繋ぐ役目があるとされ、神様が渡られるための神橋と伝わりますが、こちらは一般の方も渡ることができます。
日本では数が少ないとされる木造の反橋で、とても貴重なもの。
また、大阪の「住吉大社」の反橋と同じく、豊臣秀吉の側室として名高い淀君が寄進したものと伝えられています。
手前には輪橋の姿を映す美しい「鏡池」がありますが、池の真ん中ある祠に神鏡を納めることから鏡池とされているとか。
伝説では、不良長寿になった「八百比丘尼」という尼僧がこの神社に詣でたとき、水面に写る自分の姿を見て、八百歳にして老いない自分の若々しさと美しさを嘆き、鏡を投げ入れた池とされているそうです。
重要文化財の本殿と楼門
輪橋を渡った先に、神仏習合で栄えた神社に多い両部鳥居(本柱の前後に控柱を設けてる鳥居で四つ脚鳥居ともいう)の中鳥居と、その奥に鎮座している楼門が見えてきます。
1499年に建てられた楼門は、室町時代の様式を今に伝え、ご本殿とともに国の重要文化財に指定されています。
朱色の楼門に紫色の幕が映える美しい建物が、拝殿の役割にもなっています。
ちなみに、紫色の幕は高野山の金剛峯寺から寄贈されたものだとか。
同じく、室町時代に再建されたご本殿は、第一殿から第四殿が左右に並びます。
楼門から先に入れないため、楼門の横に設けられている場所からしか拝見できませんが、春日造りの社殿としては日本最大規模を誇り、朱塗りに彫刻と彩色が施された非常に美しい建物です。
境内そのものが国の史跡に指定されていますが、さらに「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として、「丹生都比売神社」は高野山とともに世界遺産に登録されています。
【所在地・アクセス】標高450mの高原の盆地「天野の里」に鎮座
<所在地・電話番号>
住所:〒649-7141 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
TEL:0736-26-0102
FAX:0736-26-0107
<アクセス>
■電車をご利用の方:
・JR和歌山線「笠田駅」から、かつらぎ町コミュニティバスに乗車
「丹生都比売神社前」下車(約30分)
またはタクシーで約20分
*コミュニティバスは12月31日~1月3日運休
*最寄駅は、JR和歌山線「妙寺駅」ですが、バスが出ていないため移動はタクシー(約15分)か徒歩(約1時間30分)になります。
■車をご利用の方:
・京奈和自動車道「紀北かつらぎIC」より約20分
*無料駐車場:約50台収容
【ご祭神・ご由緒】高野山と深く関係する神仏融合の始まりの神社
【ご祭神】
【第一殿・丹生都比売大神】
「天照大御神」の妹神とされます。別称:稚日女尊
諸々の災いを祓い退け、一切のものを守り育てる女神。
不老長寿、農業・養蚕の守り神としても信仰されています。
御子にあたる「高野御子大神」とともに紀伊・大和地方を巡り歩いた後、この地に鎮座し、人々のために農耕殖産(衣食の道・織物の道)を教え導いたと伝わります。
【第二殿・高野御子大神】
「丹生都比売大神」の御子。
真言密教の道場となる地を求める「弘法大師」の前に、白と黒の犬を連れた狩人の姿で現れ、高野山に導いたという言い伝えがあります。
このことから、人生の幸福への導きの神といわれています。
【第三殿・大食都比売大神】
食べ物を司る神。
【第四殿・市杵島比売大神】
財運と芸能の女神。
【若宮・行勝上人】
鎌倉時代、「気比神宮」から「大食都比売大神」を、「厳島神社」から「市杵島比売大神」を勧請(神仏の分身・分霊を他の地に移してまつること)したとされ、神社の発展に尽くした僧侶。
【境内社・佐波神社】
明治時代に上天野地区の神社をとりまとめて、まつっているそうです。
【ご由緒】
創建されたのは、今から1700年前のことと伝わります。
「丹生都比売大神」が紀ノ川流域(かつらぎ町)に降臨し、紀州・大和を巡られ、この天野の地に鎮座されたそうです。
「播磨国風土記」には、「神功皇后」の朝鮮出兵の折、「丹生都比売大神」のお告げにより、衣服・武具・船をすべて朱色に塗り戦勝することができたことから、「応神天皇」が社殿と広大な神領を寄進されたとあります。
その後、816年に「弘法大師・空海」が、「丹生都比売大神」よりご神領である高野山を借り受け、真言密教の総本山高野山を開きました。。
そして、ご守護を受けた「丹生都比売大神」と、道場の地を求めていた空海を高野山へ導いたとされる「高野御子大神」を御社を建て守護神としてまつったのです。
そのことから神仏融合の始まりの神社とされ、高野山と密接な関係を保っていましした。
古くは高野山に参拝する前には、「丹生都比売神社」に参拝する習わしがあったことから、近くには高野山の石道が通っています。
明治初年の神仏分離令により仏教関連施設は撤去され、現在に至ります。
【社務所受付時間】
午前8:30~午後4:30
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・授与所にて:午前8:30~午後4:30
・御朱印代:300円(通常のもの)
・月次祭限定の御朱印:500円
・オリジナル御朱印帳:1,200円(御朱印代別)
毎月16日の月次祭の日に、空海が日本に伝えたとされる和紙「高野細川紙」を使用した御朱印が授与されます。(毎月限定50枚)
<みちびき犬みくじ>
ご祭神の「高野御子大神」が、白と黒の犬を連れた狩人に化身して現れ、空海を高野山へ導いたとされることにちなんだ、みちびき犬みくじ。
白黒2匹の神犬をかたどった陶器製のおみくじは、お腹の中におみくじが入っているのが可愛いと女性から大人気!お守りや記念にもなりそうですね。
【主な祭礼】
花盛祭
毎年4月の第2日曜日
春の大祭「花盛祭」では、花をご祭神にお供えして、春の到来をお祝いします。
当日は季節の花を入れた竹筒が参道に飾られるそうです。
午後に行われる「渡御の儀」では、春爛漫の天野の里を、神輿と神宝である道具(楯・弓など)を持ち狩衣を着た100名以上の氏子の行列が周辺を巡ります。
太鼓橋を渡る神輿の行列はとても華やかで、情緒あふれる美しさ。
雅楽が奉納され、餅まき、野点(お茶)なども行われます。
まとめ
「丹生都比売神社」は、高野山のふもと、田園風景が広がる天野盆地に、約1700年前に創建されたとされます。
ご祭神の「丹生都比売大神」は、「弘法大師空海」に高野山を授けた神、あらゆる災いや厄を祓って下さる神として広く崇敬されてきました。
春日造りとして日本一の規模を誇るご本殿や、荘厳で美しい楼門といった貴重な国の需要文化財があり、境内も国の史跡として登録されています。
また、「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として世界文化遺産にも登録されている文化的価値の高い神社です。
高野山と密接な関係があり、世界遺産にも登録されている魅力たっぷりな「丹生都比売神社」へ訪れてみてはいかがでしょうか。