氣比神宮、鳥居 ©仰木一弘 wih LeicaQ
福井県敦賀市は、日本海に面した港町で、人気の観光地として知られています。
そんな敦賀市に鎮座する「氣比神宮」は、北陸と関西地方を結び、海上交通も栄えた立地から、朝廷から「北陸道総鎮守」と称されてきた由緒ある神社です。
建てられたのは飛鳥時代とされ、「日本三大木造鳥居」(重要文化財)の一つである高さ11メートルもの鳥居は、神社のシンボルとなっています。
そして、ご霊水「長命水」、ご神木「ユーカリ」などがパワースポットとして有名ですが、「氣比の恋みくじ」を引いた後に結び付ける「縁結び桜」も、とても人気があるそうです。
【ご利益】海上の交通・農業漁業などの衣食住の生活全般をまもる
若狭湾に面した海の玄関口として要の場所、敦賀。
主祭神の「伊奢沙別命」は古くから食物を司る神様ですが、海では海上交通や漁業、陸では農業や産業をはじめ、人々の生活全般の守護神として崇められてきました。
他にも六柱の神様がまつられているため、様々なご利益が期待できます。
神宮のシンボル「日本三大鳥居」
高さ約11mの大鳥居(重要文化財)は「春日大社」(奈良県)・「厳島神社」(広島県)と並ぶ「日本三大木造大鳥居」の一つに数えられています。
元々は、東側の参道に建てられたものでしたが、何度か災害にあって倒壊し、1645年に西門側に現在の鳥居が建てられました。
その後、第二次世界大戦中の1945年に大空襲の被害にあいますが、この大鳥居だけは空襲をまぬがれ、建てられた当時の姿を残しています。
亀の口から湧き出るご霊水「長命水」
無病息災のご利益があるとされ、飲むことで「一口年の初めに飲めば、その年は健康でいられる」という言い伝えがある「長命水」。
長寿を象徴する亀の石像の口元から湧き出しています。
もともと「氣比神宮」は、1柱をまつる神社でしたが、「文武天皇」の勅命(命令)で六柱の神々が合わせてまつられ、ご祭神は七柱とされました。
その際、神宮を造営している時に、地下水が突然涌きだしたと伝えられています。
合祀された神々、特に「武内宿禰命」は大変長生きをされた神様であることから、ご神徳が宿るご霊水として信仰され、パワースポットとして多くの参詣者が訪れるそうです。
また、「長命水」のご利益をさずかれるお守り「長命守」も人気があるそうです。
パワースポット「ユーカリの木」と「縁結び桜」
こちらの「ユーカリの木」は、昭和11年に、陸軍の関係者が武運を祈願して献木されたものです。
北陸の寒冷地に育つことは大変珍しいとされるユーカリの巨木は、市指定の天然記念物になっています。
そして、古くから戦いの中で幸運や無事が長く続くようにと、参拝者が願う場所となっているそうです。
他にも境内には「縁結び桜」や「多宝の梅」といった名称の木々も植えられています。
「氣比の恋みくじ」を引いた後に結びつける「縁結び桜」には、縁結びのご利益があるとされ、花の咲かない季節にも、おみくじの白い花が沢山咲くパワースポットとして大人気です。
月を詠むために訪れた俳人「松尾芭蕉」の句碑
松尾芭蕉は「奥の細道」の道中で、現在の敦賀市を訪れています。
その時に、旅の目的の一つである美しい月の姿を句に詠むために「氣比神宮」に参拝したとされます。
かつて、西側が沼地で参拝者が苦労していたことから、海岸より白砂を運び水溜りを埋め立てたそうです。
その整備された神前の白砂が、月あかりに美しく照らされている光景と、由来に感動した芭蕉が句を詠んだとされ、境内に建てられた松尾芭蕉の像の台座には、その時の句が刻まれています。
【所在地・アクセス】若狭湾に面した海の玄関口「敦賀」に鎮座
<所在地・電話番号>
〒914-0075福井県敦賀市曙町11-68
TEL:0770-22-0794
<アクセス>
■電車をご利用の方:
・JR北陸本線「敦賀駅」下車、徒歩約15分
又は駅前よりコミュニティバスで約5分
・「福鉄バス」「コミュニティバスはぎ号」「ぐるっと敦賀周遊バス」のいずれかを利用。「氣比神宮前停留所」で下車
■車をご利用の方:
・北陸自動車道「敦賀IC」より約10分
*無料駐車場:約100台収容(表参道駐車場、東駐車場)
【ご祭神・ご由緒】七柱のご祭神をまつる北陸道の「総鎮守」
【ご祭神】
大宝2年(702年)に「文武天皇」の勅命で六柱の神々が合わせてまつられるまでは、「伊奢沙別命」1神でしたが、七柱をまつる神社となりました。
「古事記」には敦賀の地から朝廷に海産物などの食物が献上されていたと記載があり、気比という地名は「食(け)の霊(ひ)」が由来とされています。
〈本宮〉
主祭神:「伊奢沙別命」
「気比大神」または「御食津大神」とも呼ばれ、食物を司り、また古くより海上交通、農漁業、衣食住の生活全般の神で、「氣比神宮」にのみにまつられています。
相殿神:「仲哀天皇」
第14代天皇であり、「応神天皇」の父。無病息災、延命長寿の神。
相殿神:「神功皇后」
「仲哀天皇」の皇后であり、「応神天皇」の母。安産、音楽舞踊の神。
〈四社の宮〉
「応神天皇」
第15代天皇であり、八幡神として全国の八幡宮などでまつられている海神、武運の神。
「日本武尊」
九州の熊襲と東北の蝦夷を征伐したとされ、農業神、武運の神。
「武内宿禰命」
景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代天皇に仕えた日本最初の大臣とされ、無病息災、延命長寿の神。
「玉姫命」
「気比宮社記」において、「神功皇后」の妹の「虚空津比売命」とされ、音楽舞踊の神。
【ご由緒】
社伝によれば、主祭神の「伊奢沙別命」は、境内の聖地に降臨したとされています。
そして、今から1300年以上前、「氣比神宮」が大宝2年(702年)に建てられ、勅命による社殿の修繕がなされ「仲哀天皇」・「神功皇后」を合わせてまつり「本宮」としたと伝わります。
後に、「日本武尊」を東殿宮、「応神天皇」を総社宮、「神功皇后」を平殿宮、「武内宿禰命」を西殿宮にまつり「四社の宮」と称しました。
また、平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」(官社に指定されていた全国の神社一覧)には、名神大社と記されており、越前國一之宮として皇室や庶民からの崇敬を集めていたそうです。
近代には、明治4年に近代社格制度(新たに神社を等級化した制度)において国幣大社に列格し、明治28年に官幣大社に列せられたと同時に「氣比神宮」と改称したとされます。
また、鎮座地の敦賀は京都から北上して日本海側の終着点にあたること、朝鮮半島や中国などへの玄関口でもあったことから、交通の要所として重要視され、「北陸道総鎮守」と仰がれていたそうです。
第二次世界大戦中の空襲で社殿の多くを焼失しましたが、主要社殿は戦後の再建・修復が行われて現在に至ります。
<敦賀の地名発祥地「角鹿神社」>
「角鹿神社」は敦賀の語源とされる「氣比神宮」の摂社です。
ご祭神「都怒我阿羅斯等命」は、「崇神天皇」の時代、氣比大神宮の司祭や、政治を任せられていたと伝えられます。
その政所跡に「都怒我阿羅斯等命」がまつられたことに始まり、角鹿が、なまって敦賀に変化したことがルーツとされています。
<土公遥拝所>
現在、隣接する小学校のグランドの中にるある「土公(土をつかさどる神の名)」ですが、実は、こちらが「氣比大神」降臨の地とされる聖地です。
古い時代における多くの祭祀(神や祖先を祭ること)の形態は、大きな岩を中心とした山での祭祀、大木を中心とした森での祭祀など、自然の形のままでとり行われていました。
それが仏教が伝わり寺院建築の影響もあって、奈良時代から現代のような社殿を建て行うように変化したとされます。
社殿建立後も、土公は手厚く護られ、境内に設けられた遥拝所から参拝できるようになっています。
また、「弘法大師空海」にゆかりがある場所でもあります。
空海が唐に渡る前に訪れ、航海の安全を祈るため祭壇を設けて、7日7夜の修行したと伝えられています。
【社務所受付時間】
午前9:00〜午後5:00
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・授与所にて:午前9:00~午後4:30
・御朱印代:¥300
・オリジナル御朱印帳:¥1,500(御朱印代を含む)
濃紺のオリジナル御朱印帳には、朱色の大鳥居と境内に広がる森が描かれています。
【主な祭礼】
氣比の長祭
9月2日の「宵宮祭」に始まり、3日の「神幸祭」、4日の「例大祭」、そして5日より10日まで「後祭」、15日の「月次祭」で終わる北陸の歴史がある有名なお祭り「氣比の長祭(けえさんまつり)」。
市民総参加のもと、神官や鎧武者、侍、巫女が神輿の行列を率いて練り歩き、戦国絵巻が観られる六基の山車が、街を祭り一色に染めて盛り上げます。
期間中は、露店が軒をつらね、カーニバル大行進、民謡踊りの夕べなどが行われ、北陸一帯はもとより、遠方からも多くの人が訪れ、にぎわいを見せるそうです。
まとめ
福井県敦賀市に鎮座する「氣比神宮」は越前国一之宮でもあり、北陸道総鎮守とされる格式の高い神社。七柱のご祭神がまつられています。
表参道にある国指定重要文化財の「大鳥居」が出迎え、境内には、無病息災のご利益があるとされ、地下水が湧き出している「長命水」や、武運長久、縁結びのご利益をさずかれる木々などがあります。
また、「気比大神」が降臨されたという聖地、敦賀の地名の由来となった「角鹿神社」などは、歴史を感じられる場所。
北陸のパワーストであり、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の道中で訪れた「氣比神宮」へ、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。