気多神社、拝殿©仰木一弘 wih LeicaQ
富山県高岡市の「氣多神社」は、石川県「氣多大社」と名前が似てますが、実は「氣多大社」からご神霊を分け創建されたともいわれています。
ご祭神も同じく縁結びの神様「大己貴命」別名「大国主命」をまつり、一緒に妻の神様もまつられているため、縁結び・夫婦円満・子授かりのご利益があるとされています。
また、高岡市は万葉の里、所在地の伏木一宮は、万葉の歌人「大伴家持」が国司(日本古代の地方官)として住んでいた土地として有名です。
そして、春祭りの例祭は古式ゆかしい祭事で、厄を払う「にらみ獅子」の舞が広く知られています。
【ご利益】夫婦神をまつることから、縁結び・夫婦円満・子授かりのご利益があるとされる
縁結びの神「大己貴命」別名「大国主命」と、その妻のおひとり「奴奈加波姫命」が主祭神としてまつられています。
多くの妻を持ったとされる「大己貴命」ですが、高志国(現在の北陸地方)へおもむいて「奴奈加波姫命」へ求婚の歌を詠み、「奴奈加波姫命」はそれに応じる歌を返し、結婚したという妻問いの神話が「古事記」に登場します。
このような夫婦神をまつることから、縁結び・夫婦円満・子授かりのご利益があるとされています。
さらに、結びの神「菊理姫命」も併せてまつられていますので、縁結び・良縁の強いご利益がさずかれそうですね。
とやまの名水「氣多神社の清泉」
富山湾を望んでそびえる二上山は、古来より神の山として崇められてきました。
そのふもとにたたずむは、参道である77段ほどの石段の坂道が続きます。
その石段の下、駐車場の入口付近にあるのが「氣多神社の清泉」。
龍の形をした口から勢いよく流れる水は、神社が創建される前から湧き出ていたとされ、「神事の水」として、また「みそぎの水」として使われていたそうです。
また、「とやまの名水」66選の一つに選ばれています。
越中総社跡の伝承地「かたかごの丘」
境内の一画に「かたかごの丘」という苔に覆われた場所があり、越中国(現在の富山県)総社跡の伝承地となっています。
総社、惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)とは、日本で、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことである。
日本の律令制において、国司着任後の最初の仕事は赴任した令制国内の定められた神社を順に巡って参拝することであったが、平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化された。
引用元:「wikipedia」
総社とされたのは、所在地の高岡市伏木が、かつて国府(国ごとに置かれた地方行政府)があった越中国の中心地だったことによるものとされています。
現在は社殿などはなく、木造の鳥居のみが建つ立ち入り禁止の神域。
そして昔は、国司が国府に到着した際、着任の儀礼が行われたとされる歴史的に重要な場所です。
「大伴家持」をまつる大伴神社
ご本殿の隣「大伴神社」には、越中国司として赴任した「大伴家持」がまつられています。
没後1200年にあたる昭和60年(1985年)に地元の有志によって創建されました。
万葉歌人としても知られる「大伴家持」ですが、全歌数4516首のうち家持作とわかっている歌は473首と第一位。
しかも27年間の歌歴のうち、越中在任5年間に詠んだ歌数が一番多いのです。
奈良の都からやってきた「大伴家持」が、奈良の二上山と同じ名前の「二上山」に特別の思いを込めて詠んだ歌も収められています。
その関係で越中は万葉ゆかりの地となり、越中の古代を知るうえで、かけがえのない史料となっているそうです。
【所在地・アクセス】富山湾を望む高台の森に鎮座
<所在地・電話番号>
〒933-0116 富山県高岡市伏木一宮1丁目10-1
TEL: 0766-44-1836
<アクセス>
■電車をご利用の方:
・JR氷見線「越中国分駅」より徒歩約15分
・または高岡駅(あいの風とやま鉄道・JR氷見線・JR城端線)
高岡駅古城公園口(北口)4番のりばから加越能バスへ乗車
(伏木方面循環約30分)「伏木一の宮」下車 徒歩10分
■車をご利用の方:
・能越自動車道 「高岡北IC」から約15分
・または北陸自動車道 「高岡砺波スマートIC」か約35分
*無料駐車場:約10台収容
【ご祭神・ご由緒】越中国総社跡の伝承地
【ご祭神】
<主祭神:大己貴命>
別名:大国主命
日本神話に登場する神様、さまざまな文献に現れ、複数の呼び名をお持ちです。
たくさんの女神と結ばれ、多くの子どもをもうけたことから「縁結び」の神として有名で、縁結びの神社「出雲大社」のご祭神でもあります。
縁結びの神であり、国土開拓・農耕の神・医薬医療の神として崇められ、また大黒天と同一視されています。
<主祭神:奴奈加波比売命>
別名「沼河比売命」など複数の呼び名をお持ちです。
古事記や出雲風土記などの古代文献に登場する神で、「大己貴命」の妻とされます。
高志国の姫で、翡翠を象徴する女神、子宝、安産の神として信仰されています。
<配神:菊理姫命>
「菊理媛尊」「菊理媛神」、「菊理姫」など表記も複数あります。
また、日本書紀の神話に一度だけ出てくる謎の多い神様。
神名の「くくり」には、「くくる」一つにまとめるにつながり、「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」」の夫婦ゲンカを納めたことから、「和合の神」「縁結びの神」としてまつられるようになったとされます。
<配神:事代主命>
事代主という名前に神や命、大神をつけて表記されることが多い神様、「大己貴命」の御子。
「大己貴命」は国譲りの際に「事代主命」から様々な助言を受けていたといいます。
【ご由緒】
養老2年(718年)に僧侶「行基」が創建したという説、また、天平年間(757~764年)に能登国一之宮「氣多大社」から二上山にご神霊を分け、「気多大神」として鎮座したという説など、創建については諸説あるようです。
そして、「聖武天皇」の頃、同じ二上山には「射水神社」があり、どちらも一之宮の名称を使ったことから、勢力争いがあったとされます。
結果、国府の近くに新たに創建された「氣多神社」が勝ち、当地を一之宮としたという記述があるそうです。
境内には越中国総社跡の伝承地が残っていますが、国府の移動や、勢力の変化によって、一之宮も変遷してきたといいます。
なお、「越中国一之宮」を称している神社が他に3ヶ所(射水神社・高瀬神社・雄山神社)あり、一之宮の座を争ってきた歴史が残されています。
「氣多神社」は、全盛期には境内のまわりにお寺の大きな建物が存在していましたが、天文年間(1532~1554年)に「上杉謙信」の兵火を受けたことから焼失しました。
永禄年間(1558-69年)に再建されたのが現在に残るご本殿とされ、室町期の建築様式を伝える貴重な建築物となっています。
昭和6年(1931年)には、国の重要文化財に指定されました。
【社務所受付時間】
午前8:00〜午後5:00
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・御朱印代:¥300
参道である石段の下に社務所があり、そちらに書き置きがあります。
御朱印帳のサイズに合わせた大小の2つのサイズが用意されています。
事前に予約をすれば、直書きにて対応していただくこともできるそうです。
【主な祭礼】
春季例大祭
4月18日
春のはじめにあたり、国の繁栄と氏子・崇敬者の幸せを祈る春季例大祭が開催されます。
例大祭は、さまざまな神事が奉納されますが、神輿渡行(神輿を担いで歩くこと)の後の「にらみ獅子」が特に知られています。
獅子が横笛や太鼓の音に合わせて頭だけをゆっくりと左右に振り、にらんだ観客の厄を払うというものです。
この古くから伝えられている獅子舞は、高岡市の無形民俗文化財に指定されています。
まとめ
「氣多神社」は、富山湾に面した富山県高岡市伏木に鎮座。
かつて国府が存在した越中国の中心地であったと伝わり、境内には越中国総社跡の伝承地が残っています。
また、「氣多神社」が建てられる前から湧き出ていたとされる「気多神社の清泉」、万葉集の歌人でもあり、越中国に国司として赴任した「大友家持」をまつる「大友神社」があります。
主祭神には「大己貴命」、その妻である「奴奈加波姫命」の夫婦神、さらに結びの神様「菊理姫命」も併せてまつられています。
縁結び・良縁などのご利益をさずかり、万葉の里とされる地で歴史に触れてみてはいかがでしょうか。