物部神社、鳥居©仰木一弘 wih LeicaQ
世界遺産の「石見銀山」で有名な島根県太田市に鎮座する「物部神社」。
ご本殿は高さ16メートルにおよび、春日造りでは日本一を誇ります。
真っ先に目に飛びこんで来る巨大な鳥居は、島根県内の神社の中で木造として最大のものです。
ご祭神に物部氏の祖先の神をまつり、古くより文武両道、鎮魂、勝運の神として崇拝されてきました。
勝運をさずかりたい人が全国から集まる神社ですが、近年は、勝負事にちなんで
競馬関係者なども多く参拝しているそうです。
境内には、より運気をあげる「勝石」、「パーソロンの銅像」、そして、触れると
ご利益があるとされる手水石の上に彫られている曲玉など、見どころが満載。
「物部神社」の起源ともされる鎮魂祭が有名です。
【ご利益】勝運が宿り金運・財運にもご利益があるとされる
ご祭神の「宇摩志麻遅命」が、軍事・神事両方に長けていたことから、勝負運の神・文武両道の神として信仰されてきました。
また、最初に鎮魂祈祷を行った事から、鎮魂の神、神職の始めをなす神として、まじないや占いの信仰が厚いことでも知られています。
近年は、勝負運のご利益が転じて、宝くじ当選やギャンブル必勝祈願に訪れる参拝者が増え、金運・財運にもご利益があるとして注目されているそうです。
狛鶴がお出迎え
大鳥居を通って参道を進むと、狛犬の他に狛鶴が鎮座していることに少し驚かれるかもしれません。
ご祭神が鶴の背に乗って降臨された伝わることから、「物部神社」の神使(神さまのお使い)は「鶴」とされ、そのため境内には多くの鶴の像が配置されています。
ご神紋は、鶴に乗って勝運を運んできた神にちなみ、太陽を背に負った鶴「ひおい鶴」が描かれた全国唯一のものです。
珍しい富金石でつくられた手水石
手水舎の手水石は、「富金石」という砂金を含んだ珍しい石で作られたものです。
こちらの手水石の上には「浄」「勝」「財」「健」「徳」のご利益のあるとされる5つの曲玉が彫られています。
手水を使った後には曲玉に触れましょう。ご神徳を授かるといわれています。
また、注がれているのは境内の神井(神さまが飲むといわれている井戸)から湧き出ているご神水です。
平安期に時の国司が「文徳天皇」に献上したところ、吉兆だと喜ばれ元号を仁寿(851~854)と改めたそうです。
古来から枯れることなく現在に至り、「物部神社」特製の御神酒にも用いられています。
勝運が上がるとされる「勝石」
ご祭神の「宇摩志麻遅命」は、石見地方にある「鶴降山」から国見(高い場所から国土を見ること)をされたと伝わります。
その後、鶴に乗って降りられた場所「折居田」には、ご祭神が腰掛けたとされる大きな岩があったそうです。
昭和56年に、腰掛岩は、岩のすぐ側にあった大きくもならず枯れもしないと伝わる桜の木と一緒に境内へと移され、「勝石」と称されて今も大切に保存されています。
また、「勝石」に触れると、ご祭神の勝運のご利益を授かれるとして、パワースポットとなっているそうです。
夜なき椨は子育て・子守りのご神木
子育て・子守りのご神木として有名なのが「夜なき椨」。
古くより夜泣きする子をこちらの木の空洞に一晩寝せておくと夜泣きが治るとされ、子供の病気やケガを治す神様として信仰されてきました。
さらに、「夜なき椨」の空洞の中には、聖天(歓喜天)さんと呼ばれる石仏がまつられています。
富貴を与え、病を除き、夫婦和合、縁結び、子授けの神とされ、遠方からもご利益を授かりに訪れる方がいらっしゃるそうです。
有名な種牡馬「パーソロン」の銅像
競馬ファンの方で知らない人はいない名馬シンボリルドルフ。
あなたも、聞いたことがあるかもしれませんね。
皐月賞、ダービー、菊花賞を含め7冠を取ったシンボリルドルフの父親で、種牡馬として一時代を築いた「パーソロン」の銅像が建っています。
像のモデルとなったパーソロンの馬主である「和田共弘」氏が大田市出身で、「物部神社」の氏子というご縁から奉納されたもの。
競馬だけに関わらず、勝負運をつけたい方は、参拝されてはいかがでしょうか。
【所在地・アクセス】ご祭神の御神墓のある八百山のふもとに鎮座
<所在地・電話番号>
〒694-0011 島根県大田市川合町川合1545
TEL: 0854-82-0644
FAX: 0854-82-9298
<アクセス>
■電車をご利用の方:
・JR山陰本線「大田市駅」下車
・JR大田市駅から石見交通バス「三瓶温泉行き」に約20分乗車
バス停「物部神社前」下車、徒歩3分
■車をご利用の方:
・山陰自動車道「出雲I.C」または「江津I.C」より国道9号線経由
どちらからも約1時間
*無料駐車場:約100台収容
【ご祭神・ご由緒】物部氏の祖先をご祭神とする神社
【ご祭神】
<主祭神>
宇摩志麻遅命
物部氏の祖先の神。
文武両道の神・鎮魂の神・勝運の神とされます。
「神武天皇(初代の天皇)」の国造りを軍事・神事の面で支え、諸国を平定。
最後にたどり着いたのが石見国とされ、鶴に乗って鶴降山(物部神社の南の方)に降臨されたと伝わります。
<相殿神(右座)>
・饒速日命:宇摩志麻遅命の父神
・布都霊神:所有していた布都御魂剣の霊神
<相殿神(左座)>
・天御中主大神:天地の祖神
・天照大神:皇室の祖神
<客座(詳しくは不詳とされています)>
・別天津神
(天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)
・鎮魂八神
(高皇産霊神、神皇産霊神、魂留産霊神、生産霊神、足産霊神、大宮売神、事代主神、御食津神 )
他にも、境内には摂社、末社、境外社があり、数多くの神々をまつっています。
【ご由緒】
社伝によれば、ご祭神の「宇摩志麻遅命」は、「神武天皇」の東征の際、忠誠を尽くし、その功績から神剣「韴霊剣」を賜ったとされています。
さらに、「神武天皇」御即位のときには、国の隆昌(栄えること)を願い、鎮魂祈祷をされましたが、これが「物部神社」の鎮魂祭の起源と伝わります。
その後、一族を率いて諸国を平定し、最後にたどり着いたのが石見国(現在の島根県西半部)であり、鶴に乗って鶴降山に降臨されました。
「宇摩志麻遅命」が亡くなると、ご神体山(神霊の宿るもの)として崇められたきた八百山に葬られ、継体天皇8年(513年)、天皇の命によって祈祷専門の神社として八百山の麓に社殿が創建されたそうです。
戦国時代には、時の大名である大内氏や毛利氏が戦勝祈願をしたことが記録にあり、武具の奉納品も社宝として残っています。
また、石見銀山争奪戦の舞台ともなり、度重なる戦火などによって社殿は3度消失したそうです。
そのため、火災予防の意味を込めて、亀は水を呼ぶことから、本殿屋根の千木の下に亀の彫刻が彫られました。
現在は、幾度かの再建、改修が行われ、県指定文化財に指定されています。
なお、春日造では全国一の規模を誇ります。
【社務所受付時間】
午前8:30~午後6:00頃
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・授与所、社務所にて:午前8:30~午後5:00頃
・御朱印代:お気持ち
<珍しい一生もののお守り>
石見銀山がすぐ近くにあることからもわかるように、物部氏は、金属と深い関りがあり金属鍛錬に長けた一族だったとされています。
そんな物部氏の祖神「宇摩志麻遅命」をまつることから、金属御守が頒布されています。
金・銀・銅の3種類でできた勝運・強運・健康家内安全等、全般運守護のお守りは、一年ごとに納める必要がないそうです。
少し値がはるようですが、一生もののお守りとしていかがでしょうか。
【主な祭礼】
鎮魂祭
11月24日
「物部神社」の起源ともいえる鎮魂祭は、神代より受け継ぎ現代まで続いている物部氏最大最古の祭。
一般的に鎮魂は、霊を弔い鎮めるという意味で使われますが、「物部神社」によれば、魂に活力を与える・甦らせる・悪を祓うなど、好転的な意味を持つもの。
衰弱・遊離しそうな霊魂を鎮め、揺り動かして本来の姿に立ち戻らせる祈祷法こそ鎮魂の本来のあり方であるとしています。
なお、宮中(皇居の中)でも行われる鎮魂祭を行うことで、奈良県の「石上神宮」および新潟県の「彌彦神社」と共に有名ですが、特に「物部神社」の鎮魂祭が最も近いものとされているそうです。
まとめ
「物部神社」は、物部氏の祖先であるご祭神「宇摩志麻遅命」をまつる石見国一之宮です。
古来から、文武両道・鎮魂・勝運の神様として敬われてきました。
戦国時代には銀山争奪の舞台となった場所でもあり、戦国武将大内氏・毛利氏が戦勝祈願を行ったとされています。
また、ご祭神が最初に鎮魂祈祷を行った事から、鎮魂の神、神職の始めをなす神として、まじないや占いの信仰が厚いことでも知られ、宮中でも行われる鎮魂祭が行われることで有名です。
勝負運をさずかりたいスポーツ選手や競馬関係者など全国から集まる「物部神社」。
あなたも、ここぞという勝負の時にはぜひ訪れて、ご利益を授かりましょう!