全国の八幡神社の大本山「宇佐神宮」のご分霊として平安時代初期に建てられた、由緒ある 「柞原八幡宮 」。
杉の木に囲まれた境内には、樹齢3000年のご神木や重要文化財に指定されている建造物も多く、神秘的で厳かな雰囲気が漂うパワースポットです。
拝殿では靴を脱いであがり、参拝する珍しいスタイル。天井には、迫力のある天狗のお面が飾られています。
また、参道の石畳には、珍しい「幸運の扇石」という石がはめ込まれていて、こちらを踏むと心願成就、恋愛成就できるそうです。
【ご利益】出世開運・勝運・家内安全・交通安全・厄除け・子孫繁栄・安産祈願など
ご祭神に武運の神をまつることから、出世開運・勝運などのご利益があるとされます。
また、ご家族がそろっているため、家内安全のご利益、他にも、交通安全・厄除け・子孫繁栄・安産祈願など様々なご利益があるそうです。
参拝される時は、靴を脱いで上がり、奥にある拝殿前に正座して行います。
拝殿に向かう長く折れ曲がった廊下には、「大友宗麟」公が奉納したとされる「開運大太鼓」があり、叩いて祈願することができます。
樹齢3000年のご神木「大楠」
境内は、イチイガシ、コジイ、クスなどの巨木に囲まれ、神秘的で荘厳な森となっています。
その中でも本殿にむかう階段の途中にそびえているのが、樹齢3000年とされるご神木の楠です。
こちらの楠は、パワースポットとして有名で、国の天然記念物にも指定されています。
樹の高さが30メートル、幹回り18.5メートルの巨大さで、空洞になっている幹の下の部分は、大人が十数人はいる広さ。
その手前にあるのが樹齢400年とされる「ホルトの木」、市の名木にも数えられていて、こちらも存在感があります。
キリシタン大名(キリスト教に入信し洗礼を受けた大名)として有名な「大友宗麟」が、ポルトガル人が持ってきた木を移植したということで、「ポルトガルの木」→「ほるとの木」となったといわれています。
幸運の石「亀甲石」と「扇石」
境内の石畳に幸運の石とされる「亀甲石」と「扇石」が敷かれています。
「亀甲石」は亀の甲羅のような形をしていて、踏むと長寿になるといわれているそうです。
また、末広がりの扇の形をした「扇石」は、石を踏んで願かけすると願いが叶う、運が開けると伝えられています。
社務所と東門に合わせて2枚敷かれていますので、探してみてはいかがでしょうか。
【所在地・アクセス】大分市の二葉山(八幡柞原山)のふもとに鎮座
<所在地・電話番号>
〒870-808 大分県大分市上八幡987
TEL:0975-34-0065
<アクセス>
■電車&バスをご利用の方:
・JR九州日豊本線「大分駅」から大分交通バス「柞原行き」乗車約35分、終点下車にて徒歩約5分
・または、JR九州日豊本線「西大分駅」から大分交通バス「柞原行き」乗車約10分
終点下車にて徒歩約5分
*バスの本数が少ないため、乗り継ぎの時間の確認をおすすめします。
■車をご利用の方:
・大分自動車道「大分IC」から県道696号経由にて約15分
*無料駐車場:約200台収容
【ご祭神・ご由緒】ご祭神にまつられているのは親子神の三柱
【ご祭神】
「柞原八幡宮 」は、「宇佐神宮」の豊後国の「別宮」とされます。
「宇佐神宮」が「八幡大神」をまつる全国の八幡様の総本山という関係から、「八幡大神(応神天皇)」、「仲哀天皇」、「神功皇后」の親子神三柱がまつられています。
〈応神天皇〉
(別称:誉田別命)
第15代天皇であり、大和朝廷の華やかな時代である4世紀後半に実在したと伝わります。
父は「仲哀天皇」、母は「神功皇后」。
「仲哀天皇」が崩御(天皇等の死亡を表す敬語)されたとき、「神功皇后」のお腹の中にあったことから胎中天皇ともいわれます。
武運の神、国家鎮護の神とされ武家から朝廷、庶民にまで広く信仰されている神様です。
〈仲哀天皇〉
第14代天皇と伝えられています。
「応神天皇」の父であり、「神功皇后」の夫。
熊襲(九州中南部に住む長く大和朝廷に服属しなかった種族)征討に出陣し、敵の矢で打たれて崩御されたと伝えられています。
〈神功皇后〉
(別称:息長帯比女命)
「仲哀天皇」の皇后、「 応神天皇」の母。
朝鮮半島に遠征し三韓征伐(古代の朝鮮半島の百済・新羅・高句麗の3国を服属下においたとされる戦争)を行なった英雄です。
帰国後に「応神天皇」を無事に出産したと伝えられ、安産・子育ての女神として篤く信仰されています。
【ご由緒】
社伝によれば、平安時代初期に「延暦寺」の僧・金亀が「宇佐八幡(宇佐神宮)」に千日間こもられ、そこで「八幡神が豊前国に神々の姿としてあらわれる」とお告げを得たことが始まりとされています。
その後、承和3年(836年)に「宇佐八幡」の分霊を受け社殿が造られたそうです。
「柞原八幡宮 」は「宇佐八幡」の別宮として、この地域を治める大友氏ほか、歴代の領主から崇敬され、特に大友氏の保護を受けてきました。
一時は戦国時代に領主であった「大友義鎮」がキリシタン大名であったことから迫害を受け衰退しましたが、江戸時代に入って再び手厚い保護を受けています。
明治時代に入ると、新たに設けられた社格制度で、明治4年には県社、大正5年には国幣小社とされました。
「柞原」の表記が登場したのは、明治になってからといわれています。
それ以前は「由原宮」、「八幡由原宮」または「賀来社」とよばれていたそうです。
<重要文化財の建造物>
他に例の少ない八幡造のご本殿など、江戸期のものが現在までそのまま残っていることから、ご本殿を含む、申殿、拝殿、桜門、東宝殿、西宝殿、東回廊、西回廊、西門、南大門の10棟が国の重要文化財に指定されてます。
中でも、「南大門」の重厚な門には古今の聖人や花鳥風月、二十四孝(中国で古く親孝行であったという二四人を取り上げた書物)を表現した見事な彫刻がいたる所にほどこされています。
また、一日中ながめても飽きないので「日暮し門」と呼ばれているそうです。
他にも柞原八幡宮 文書216通を始めとして、柞原八幡宮絵図や木造の坐像など県指定文化財など数多く所蔵され、文化的な面でも非常に価値の高いパワースポットとなっています。
【社務所受付時間】
午前9:00〜午後5:00
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・授与所にて:午前9:00〜午後4:30
・御朱印代:¥500
・オリジナル御朱印帳:¥1,500(御朱印代は含まない)
白地に重要文化財の社殿と、ご神木の大楠が描かれているオリジナル御朱印帳があります。
【主な祭礼】
仲秋祭
9月14日~9月20日
捕らえた魚や鳥獣を野に放して殺生を戒める儀式である「放生会神事」が始まりとされるお祭り。別名「浜の市」。
14日には、三柱のご祭神が神輿に乗り仮宮へおもむき、17日には放生会が行われ、鳩やフナを放ち生物の霊をなぐさめます。
期間中は神楽や花火大会などが催され、境内には盛大な「市」が立ち、多くの見物客や参拝者でにぎわいます。
名物として、藩主の座布団を形どったとされる「しきし餅」や、江戸時代から伝わる素朴な作りの「一文人形」が有名です。
まとめ
「柞原八幡宮」は、「宇佐神宮」の別宮、豊後国一之宮として崇敬されてきた由緒ある神社です。
大分市街地から車で約15分程の所であるのにもかかわらず、広い境内には、樹齢3000年とされるご神木の楠や、樹齢約400年のホルトの木がそびえ、巨木に囲まれた森としておごそかな雰囲気が漂います。
ご祭神には「応神天皇」、「仲哀天皇」、「神功皇后」の親子三柱がまつられ、出世開運、家内安全、厄除など様々なご利益があるとされます。
社殿は壮麗な八幡造りで、本殿・申殿・拝殿など10棟が国の重要文化財に指定され、宝物館には刀剣や仏像などが多数展示されています。
文化的な面からも非常に価値の高いパワースポットに、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。