南宮大社、拝殿 © 仰木一弘 wih LeicaQ
天下分け目の関が原の合戦の舞台となった「南宮山」をご神体とし、その山麓にたたずみます。
大きな鳥居と、朱色の美しい社殿が特徴的な「南宮大社」。
江戸時代に建てられた華やかな社殿は、国の重要文化財にも指定されています。
ご祭神が鉱山や金属を司どる金属関係の神様ということから、金運や勝負事にご利益があることで有名です。
また、徳川家ともゆかりが深く、関ヶ原の戦いの勝利にこの場所が関係しているとされるほど、風水的にも良い気が集まるパワースポットとなっています。
【ご利益】鉱山や金属の神様をまつることから勝負事・必勝祈願・金運上昇にご利益
ご祭神が鉱山や金属の神様であるため、「金」ということから勝負事、必勝祈願、金運上昇にご利益のある神社とされています。
さらに、大事な勝負事で勝つための平常心をもたらしてくれるといったご利益もあるそうです。
なかでも、南宮山から流れる龍脈(大地の気が流れるルート)が、関ヶ原の戦いで「徳川家康」に勝利をもたらしたとされていることから、勝負運で知られるようになりました。
ちなみに、龍脈上にある土地や龍脈が交わる場所は、パワースポットになりやすいといわれています。
風格のある2つの石橋
江戸時代初期、社殿と同じ時期に花崗岩を使用して造られた2つの石橋があります。
1つは、楼門の手前に流れる川に架かかる神の橋と呼ばれる「石輪橋」。
こちらは円弧を描き門の正面に位置しており、神様が渡る石橋であるとされるため、人間が渡る事は禁止されています。
そのため、参拝者はもう1つの「石平橋」を渡ります。
朱塗りの社殿を引き立てる白玉椿
ご神木の白玉椿が広大な境内にいたるところに植えられ、ご本殿を守るかのように取り囲んでいます。
古くは、椿は真冬でも濃い緑の葉を付けていることから、不屈の生命力を示すとして縁起が良いとされ、長生きを意味する「椿寿」という言葉からも、めでたい木として珍重されました。
また、神聖で繁栄を象徴する木、魔除けの力を持つ木とされ、油は不老不死の妙薬(不思議なほどよく利く薬)として尊ばれたと伝わっています。
花の見頃は12月~4月で、白玉椿の花が満開の4月には、南宮山の山頂近くにある「高山神社」の高山社祭が行われます。
高山社祭は別名「椿祭」と呼ばれますが、神職が奥宮に出向いて神事が行われるそうです。
【所在地・アクセス】「南宮山」のふもとに鎮座
<所在地・電話番号>
〒503-2124 岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
TEL:0584-22-1225
<アクセス>
■電車をご利用の方:
・JR東海道本線「垂井駅」下車、徒歩約20分
■車をご利用の方:
・名神高速道路「 関ヶ原IC」から約15分
・名神高速道路 「大垣IC」から約20分
・東海環状自動車道 「大垣西IC」から約20分
*無料駐車場:約50台収容
【ご祭神・ご由緒】金の神の総本宮として人々の信仰を集めてきた
【ご祭神】
<主祭神:金山彦命>
神話では「天昭大御神」の兄神にあたります。
神産み神話で「伊邪那美命」が、火の神様「迦具土」を産んだ時に、吐き出した嘔吐物から形を変えて生まれた神様。
名前の通り「金山=鉱山」を司る神様で、古来から工業や鍛冶、金属を加工する技巧を守護する神様として、また、魔除け災難除けの神様として崇敬されていたそうです。
<配祀:彦火火出見尊>
別称:「火遠理命」など複数の表記があります。
神話「山幸彦と海幸彦」の山幸彦とされる神様で、農業の神、稲穂の神。
「瓊々杵尊」と「木花之佐久夜毘売」の間に生まれた子で、「神武天皇」の父とも「神武天皇」その人ともいわれています。
<配祀:見野命>
詳細は不明ですが、天地開闢(天と地が開けた世界の始まり)の後、日本書紀では「国常立尊」・「国狭槌尊」についで、3番目に生まれた神様。
「豊斟渟尊」の別称として記載があります。
「見野命」以外の「豊斟渟尊」の別称に、すべて「豊」の文字が見られることから、生命力あふれる「大地」を神格化した神様と考えられています。
【ご由緒】
社伝によれば、「神武天皇」東征の際、ご祭神「金山彦命」は、金鵄(日本建国を導いた金色のトビ)を助けたことから、まつられたとされます。
後に「崇神天皇」の御代に、現在地に奉還(お返しすること)され、古くは「仲山金山彦神社」と呼ばれていました。
平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」には、名神大社としてその名が記載されています。
以来、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏や北条氏、土岐氏など武将の崇敬をうけ、美濃国一之宮として、また金の神の総本宮として、人々の信仰を集めてきました。
〈再建された貴重な社殿〉
1600年の関ヶ原の戦いで、関が原の南東に位置する「南宮山」は陣所(陣を設けてしばらく駐在する所)となり、ふもとにある「南宮大社」も社殿を焼失してしまいます。
現在の建物は、関ヶ原の戦いから42年後に、徳川三代将軍「家光」の乳母「春日局」の強い願いから、「家光」によって再建されました。
この再建にあたって、現在の約21億円という巨額が投じられたそうです。
広大な敷地を誇る境内には、本殿・拝殿・楼門・幣殿・高舞殿など朱塗りの華麗な姿の建造物が並び、江戸時代の頃の神社建築様式である和様と唐様を混合した「南宮造」となっています。
これらの独特な建築物は、国の重要文化財に指定され、また、社殿が再建された際の造営文書や棟札(建築・修築の記録・記念として取り付けた札)が「宝物殿」に納められいます。
他にも刀剣、絵馬、絵画など多種多様の宝物が展示されていますが、金属の神様をまつる神社にふさわしく日本に5本しか現存しない刀剣が所蔵されている事でも有名です。
これらの中には、平安時代の京の名匠「初代三条宗近」作の「三条」、室町時代に奉納された備前国長船の名匠「康光」作の「康光」、奈良時代の鉄製の「鉾」が重要文化財に指定されています。
これらの宝物は毎年11月3日の文化の日に一般公開され、多くの方が訪れるそうです。
〈御旅所と呼ばれる境外社「南宮御旅神社」〉
ご祭神:「金山姫命」
金の神、鉱山の神。
現在は北2Kmの所に鎮座する摂社ですが、かつての美濃国国府が存在した地といわれ「国府之宮」とも呼ばれていました。
境内から美濃国国府の政庁跡が発掘されましたが、「南宮大社」の名称が、美濃国国府の南に位置した事に由来することからも、国府を守護する宮だったと考えられています。
また、南宮大社の神輿が、禊の川渡りとして相川を越え御幸(外出を敬っていう語)する古い時代の儀式により御旅所と呼ばれています。
【社務所受付時間】
午前9:00~午後4:00
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
美濃国一之宮「南宮大社」の御朱印、美濃国総社「南宮御旅神社」の御朱印を頂く事ができます。
・授与所にて:午前9:00~午後4:00
・御朱印代 各¥300
・オリジナル御朱印帳(サイズ16×11㎝) ¥1,500
楼門とご神木の美しい白玉椿がデザインされた小さいサイズの布製オリジナル御朱印帳があります。
【主な祭礼】
例大祭
5月5日
例大祭は、「南宮大社」から「御旅神社」まで約2キロメートルを神輿3基が通い、神幸式、蛇山神事、還幸舞などが奉納されます。
メインともいえる神幸式は、「南宮大社」のご祭神が、もとは「御旅神社」に鎮座していたという伝説が由来の神事です。
年に一度、ご祭神が神輿に移されて「御旅神社」まで里帰りするという意味合いの神事と考えられ、神輿渡御式ともいわれます。
「御旅神社」に到着すると神事が行われ、奉納された後は、来た道を今度は「南宮大社」へ戻る「還幸」が行われます。
金山祭
11月8日
金山祭は、「鞴祭」とも呼ばれている神事で、金物の神様として知られる南宮大社らしいお祭り。
全国から鉱山・金属業者が参拝に訪れにぎわいます。
神職と3人の野鍛冶(野外で行う鍛冶)、楽人などが清めのお祓いをし、そのあとに、あらかじめ火を起こしてあった炉から鋼を取り出します。
3人の野鍛冶が、オレンジ色の鋼に交代で槌を打ち込み、多数の参拝者が見守るなかで、完成した小刀を神前に供えるという神事です。
その間、高舞殿では舞楽や雅楽が演じられ、厳かな雰囲気に包まれる中、金属業関係者は、これまでの感謝とこれからも業務上の事故が起きないように祈願します。
まとめ
南宮山をご神体とする「南宮大社」は、鉱山・金属業の神である「金山彦命」をまつる美濃国一之宮として名高い神社。
金属にまつわる神様のため鍛冶職人などの信仰が厚いのはもちろん、金属=金ということから、金運や必勝祈願、縁結び、安産など多種多様なご利益があるとされます。
関ヶ原の合戦で焼失した社殿は、「徳川家光」によって再建された独特の南宮造。
江戸時代の神社建築として国の重要文化財に指定され、その朱塗りの豪華な建物が並ぶ光景は一見の価値があります。
また、全国の神社の中でも、美しい社殿と美しい椿が咲く神社として有名です。
そんな徳川家ともゆかりの深い岐阜県のパワースポットを訪れてみてはいかがでしょうか。