小國神社、拝殿 ©仰木一弘 wih LeicaQ
遠州(静岡県西部)の小京都といわれる周智郡森町に鎮座する「小國神社」は、遠州きっての古社です。
願い事が意のままに叶う神社「事任神社」とも伝えられ、人々の心願成就にご利益のある神社とされています。
また、恋愛や仕事にとどまらず、人々の様々なご縁を結ぶ縁結びの名社として広く親しまれ、初詣には30万人あまりの参拝者でにぎわいます。
古代の森とも称される、東京ドーム21個分にもなる広大な神域。
神社を囲うように樹齢数百年の老杉が茂り、境内には春の千本桜、初夏の花菖蒲、秋の紅葉、そして冬には梅が咲き誇り、いつ訪れても美しい神社です。
【ご利益】心願成就のご利益があるとされる
「小國神社」は、ご祭神に「大己貴命(大国様)」をまつり、国土開発・福徳・縁結び・農業・医薬などの御神徳が高いと崇められてきました。
また、「事任神社」(願いが叶う神社)とも伝わり、現在でも多くの人が心願成就のために訪れています。
また、ご祭神の持ち物である「打ち出の小槌」は、古来より振ることで様々なものが出てくるという伝説があり、ご神徳の象徴とされ、人々の様々な願いを叶えたと伝えられています。
拝殿に向かって左側には、大国様の象徴ともいうべき巨大な「大宝槌」がまつられています。
「小國神社」では、天然のけやきを使用した木目の美しい小槌「宝槌」・「木小槌」を開運招福・福徳円満・縁結びの縁起物としてさずかる事ができます。
願掛けのお礼をしたと伝わる「事待池」
古くから「小國神社」は、心願成就にご利益のある神社とされてきましたが、願掛けをして願いが叶ったときに、感謝の意を表して池に鯉を放つという習わしがありました。
その御礼をしたと伝わるのが、事のままに待つ池「事待池」です。
また、池の水をくんでいぼに付けると、いぼがとれるという言い伝えがあり「いぼとり池」ともいわれています。
池の水は、神様のご加護を頂いているご神水であり、さらに池の周囲にあるスギやヒノキの有効成分が、蓄積されていることが関係しているようです。
徳川家康が休息された「立あがり石」
「徳川家康」が三方ヶ原の戦い(武田信玄と徳川家康・織田信長の連合軍との戦い)の前年に開運祈願に立ち寄り、この石に腰かけて休息したと伝えられています。
また、家康公が様々な苦難を乗り越えて立ち上がってきたことから「立あがり石」といわれるようになったとされます。
石の上にはご賽銭が見られ、大変な苦労の末に 、天下統一を果たした粘り強さにあやかりたいと、人生の再起を念じて石に腰かける方もいらっしゃるようです。
金運・良縁に恵まれる「金銀石」「願掛松」
境内には、松の木を挟んで左右に置かれている「金銀石」があります。
願いを込めて石をなでたあと、その願いが叶うのを待つということから、隣の「願掛松」もなでると、金運や良縁に恵まれるとされています。
石は、「金運石」、「引寄石」、「夫婦石」とも呼ばれているそうです。
縁結びのご神木「ひょうの木」
ご神木の「ひょうの木」は樹齢800年とされます。
正式な学名は「イスノキ」で、古くは宮中(皇室)で使われる櫛となる重要な材料にされていたそうです。
平成16年には、森町の天然記念物にも登録されました。
「ひょうの木」にまつわる神話に、ご祭神「大己貴命」が「ひょうの実」を吹いたところ、その美しい音色に感銘を受けた女神が現れ契りを結んだという言い伝えがあります。
以来、「恋愛」「人間関係」「仕事」など様々な「縁を結ぶ」ご神木として古くから信仰されています。
実は、「ひょうの実」は木の葉に昆虫が寄生し木質化したもので、笛のようにふくと「ひょう」という音に聞こえるため「ひょうの実」と呼ばれます。
良縁をもたらしてくれるお守りとされ、縁結びの縁起物として持ち帰る方もいらっしゃるそうです。
【所在地・アクセス】本宮山の山麓に鎮座
<所在地・電話番号>
〒437-0226 静岡県周智郡森町一宮 3956-1
TEL:0538-89-7302
FAX:0538-89-7367
<アクセス>
■電車をご利用の方:
・JR東海道新幹線「掛川駅」にて在来線「天竜浜名湖鉄道」に乗り換え「遠江一宮駅」下車、徒歩で約50分(無料シャトルバス、またはタクシー約10分)
*無料シャトルバスは、日曜日及び指定日運行のため運行スケジュールを確認されることをおすすめします。
■車をご利用の方:
・新東名高速道路からのアクセス
新東名高速道路「遠州森町スマートIC」から約7分
新東名高速道路「森掛川IC」から県道280号線沿い約15分
・東名高速道路からのアクセス
東名高速道路「袋井IC」から県道280号線沿い約20分
袋井インター出口を左、道なりに7~8分
*無料駐車場:数カ所に分かれて約900台収容
【ご祭神・ご由緒】徳川家康など数多くの名将から崇敬を受けてきた
【ご祭神】
〈大己貴命〉
別名:大国主命
「須佐之男命」の御子にして、豊葦原の国(日本の美称)を稲穂がたくさん稔る豊かな国に造りあげた後、天孫「瓊瓊杵尊」に国をお譲りした神として、「国作之大神」・「大穴牟遅神」など多くの神名をお持ちです。
一般的には、日本神話「因幡の白うさぎ」の大国様として登場する、「心の優しい神さま」として親しまれています。
さらに、国土開発・山林・農業・医療などの知識や文化を人々にさずけ、開運福徳・夫婦和合・縁結び・厄除け・心願成就・交通安全などのご神徳が高い神とされます。
【ご由緒】
社記によると、「欽明天皇」の代に現在の本宮山に御神霊が現れ、後に勅命(天皇の命令)によって山麓約6kmの現在地に社殿を造営したのが始まりと伝わります。
「小國」という社名は、出雲国の「大国」に対して呼ばれる名称とされますが、「事任神社」(願い事のままに叶うという意)とも称されたそうです。
そして、平安時代にまとめられた「延喜式神名帳(当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧)」に記載され、中世には武将をはじめ朝廷の崇敬が極めて篤かったとされます。
元亀3年(1572年)の戦では、「武田信玄」が立てこもりましたが、時の神主「小國重勝」は、息子を人質に出してまで武田方につくことを拒み、「徳川家康」につきました。
その後、家康公は、重勝に命じて御神霊を別所に遷し、願文(祈願の意を伝えるための文書)と太刀を奉納して戦勝を祈願した後、社殿に火を放ち焼き払ったといいます。
天平3年(1575年)武田軍に勝利すると、家康公は「小國神社」を篤く崇敬し、御神霊を戻され、ご本殿の造営、拝殿・楼門を再建されました。
それ以降も代々の徳川将軍家より崇敬され、社殿の改造・修復料を寄進されたといいます。
明治6年には、国幣小社に列せられ、明治15年に火災により社殿が全焼しましたが、明治19年に再建され現在に至ります。
【社務所受付時間】
午前9:00~午後4:00
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・社務所ご朱印受付所にて:午前9:00~午後4:00
・御朱印料:¥300
・オリジナル御朱印帳:¥1,500
小槌がデザインされたオリジナルの御朱印帳です。
【主な祭礼】
例大祭
毎年4月18日に近い土日
御神霊が本宮山に現れた日であり、勅使(天皇の使者)が舞楽を奉奏された由緒ある日に例大祭は行われます。
奉納される「十二段舞楽」は、勅使が神前にて舞ったのが始まりと伝えられ、江戸時代には鈴木左近家が代々伝承したとされています。
ちなみに、「小國神社」の十二段舞楽は、「遠江森町の舞楽」のひとつであり、同じ森町にある「天宮神社」、「山名神社」の舞楽とあわせて国の重要無形民俗文化財に指定されています。
まとめ
1450年以上の歴史をもつ遠江国一之宮「小國神社」は、徳川家康など多くの武将たちからの信仰を集めた古社。
神話「因幡の白ウサギ」で有名な大国様をまつり、人々の様々なご縁を結ぶ縁結びのご利益があるとされ、さらに、願い事が意のままに叶う神社「事任神社」として心願成就にご利益のある神社です。
ご神域は、東京ドーム21個分もの広さを誇り、老杉が繁る参道や境内はまさに「古代の森」の名にふさわしく静寂で荘厳な雰囲気が漂います。
そして、境内には縁結びのご神木「ひょうの木」、金運や良縁に恵まれるとされる「金銀石」と「願掛松」、大国様の象徴「大宝槌」があります。
そんな見どころいっぱいの境内を四季折々の自然に触れながら、ゆっくり散策してみてはいかがでしょうか。