西寒多神社、鳥居 ©仰木一弘 wih LeicaQ
豊後国(現在の大分県のうち北部を除いた大部分)には一之宮が2社ありますが、その1つが「西寒多神社」。
一本の木から咲き誇る藤の名所として知られ、観光スポットとしても人気です。
主祭神には「月読尊」、「西寒多大神」、「天忍穂耳命」がまつられ、家内安全、縁結び、交通安全、精神安定などのご利益があるとされます。
標高608mの本宮山には「西寒多神社」の始まりとされる「奥宮」が建ち、登拝には片道2時間ほどの道のりですが、あふれ出るパワーをさずかることができるそうです。
【ご利益】家内安全、五穀豊穣、交通安全、縁結び、子孫繁栄、病気平癒、精神安定など
ご祭神に太陽の神、月の神、農業神、武運の神、安産・子育ての女神など、多くの神をまつることから、ご利益が多岐にわたるとされます。
アーチ型の「萬年橋」
神社の入口を流れる寒田川(通称みそぎ川)にかかる石造りの橋。
優雅な丸みをもったアーチ型の橋は、「太鼓橋」ともよばれ、江戸末期に造られました。
全長23メートル、幅3.85メートル、アーチと路面の間が狭いのが特徴、大分県の有形文化財に指定されています。
神社へは、こちらの石橋または藤棚のある橋を渡って行くことができます。
樹齢450年の藤の古木(大分市天然記念物)
「西寒多神社」は、大分市の名木でもある樹齢450年の藤の名所として知られています。
境内にあるヤマフジは、高さ3.5m、幹周り2.8mもの巨大さで、350平方メートルに渡り藤棚に枝を伸ばし美しい花を咲かせます。
その藤の花房はなんと1メートル以上にも広がり、藤棚がキレイに紫色で彩られ、石橋の萬年橋、流れる小川と藤の風情ある景色が楽しめます。
昔話が由来する「鬼の歯形岩」
拝殿に向かう階段の近くにある「鬼の歯型岩」は昔話に由来しているとされます。
昔、本宮山と尾根続きの霊山に住んでいた鬼たちは、ふもとに降りてきては村人に悪さばかりしていたそうです。
ある時、巫女の親子が本宮山にやって来て、毎日お祭りをしていましたが、鬼たちにとってこの祭りの音は嫌な音でした。
鬼は親子を取って食おうとしたので、母親が「霊山から隣の本宮山まで、一晩で橋をかけることができたら食べられましょう」と無理難題の約束をさせました。
ところが、鬼たちは一晩で橋を完成させかけたため、あわてた親子は一番鶏の鳴きまねをしたのです。
これを聞いた鬼たちは朝が来たと思い、残念がって歯で石を噛み投げたとされ、この歯型石は、その時の石だといわれているそうです。
【所在地・アクセス】市の中心部から離れた場所に鎮座
公共の交通機関を使って参拝するのは大変だと思いますので、車のご利用をおすすめします。
また、本宮山「奥宮」へは「西寒多神社」の奥宮参拝道入口からの山道(片道約2時間)を登るか、車で「本宮山セラピーロード」を通って中腹の安田駐車場まで行き、そこから約1km弱(片道約50分)を登る方法があります。
*「本宮山セラピーロード」 引用元:大分市公式サイト
〈所在地・電話番号〉
〒870-1123 大分県大分市寒田1644
TEL: 097-569-4182
〈アクセス〉
■車をご利用の方:
・大分道大分「光吉IC」より約10分
*無料駐車場:約80台収容
■バスをご利用の方:
・大分駅前「3・4・5番乗り場」
「寒田・ふじが丘」行き、または「光吉・ふじが丘」行きで約30分
「ふじが丘南」バス停下車、徒歩約15分
■電車をご利用の方:
・JR豊肥本線「敷戸駅 」から徒歩約30分
【ご祭神・ご由緒】陰と陽を表す太陽と月の神様がまつられている
【ご祭神】
〈主祭神:月読尊〉
「天照大御神」の弟、「須佐之男命」の兄。
「月読」という名前があらわすように、太陽神「天照大御神」に対して、夜の神・月の神と言われています。
穀物起源の神話に登場することから農耕神とされたり、月の満ち欠けに関係する暦や占いの神、海の神ともいわれます。
また、「西寒多神社」によれば、「月読尊」は一之宮の神様では珍しい「心の神」「精神安定の神」とされています。
〈主祭神:西寒多大神〉
太陽の神「天照大御神」を指すとされます。
日本神話や神道の神々の中では最高位に位置し、天皇の祖神として「伊勢神宮」にまつられています。
最高神として崇められますので、国土安泰、子孫繁栄などあらゆる福をまねくご利益があるそうです。
〈主祭神:天忍穂耳命〉
「天忍穂耳命」は、「天照大御神」の子で、「瓊々杵命」の父です。
「天照大御神」から、葦原中国(日本国の異称)を治めるよう命令されますが、下界は物騒だとして途中で引き返してしまったといいます。
地上が平定した後に、再度降臨するようにいわれますが、今度は生まれたばかりの御子「瓊々杵命」を代わりに降臨させました。
稲穂の神、農業神として信仰されています。
〈相殿神:応神天皇〉
別称:誉田別命
第15代天皇であり、大和朝廷の華やかな時代である4世紀後半に実在したと伝わります。
父は第14代「仲哀天皇」、母は「神功皇后」。
「仲哀天皇」が崩御(天皇等の死亡を表す敬語)されたとき、「神功皇后」のお腹の中にあったことから胎中天皇ともいわれます。
武運の神とされています。
〈相殿神:神功皇后〉
別称」:息長帯比女命
古事記・日本書紀にみえる伝承上の人物。第14代「仲哀天皇」の皇后、「 応神天皇」の母。
「仲哀天皇」の没後、お腹に子をやどしたまま朝鮮半島に遠征し、帰国後に「応神天皇」を無事に出産したと伝えられ、安産・子育ての女神として信仰されています。
〈相殿神:武内宿禰〉
「武内宿禰」は、「古事記」「日本書紀」によると、大和朝廷の初期に活躍し、第12代から第16代の5代の各天皇に仕えたという伝説上の人物です。
仕えた5代の天皇の中でも、特に「応神天皇」と、その母の「神功皇后」との縁が深いとされます。
「神功皇后」が遠征軍を率いる事になった時には、補佐役となって勝利に貢献しているそうです。
延命長寿にご利益があると信仰されています。
【ご由緒】
社伝によると、「神功皇后」が三韓征伐(古代の朝鮮半島の百済・新羅・高句麗の3国を服属下においたとされる戦争)からの帰途、西寒多山(現在の本宮山)に立ち寄り山頂に白旗を立ててお帰りになったとされます。
その後、人々はそれをあがめ聖地として拝んだそうです。
やがて「応神天皇」の時代に「武内宿禰」が、山頂に神をまつる小さなやしろを建てたのが始まりとされます。
平安時代に入ると「延喜式神名帳(官社に指定されていた全国の神社一覧)」では式内大社(延喜式神名帳記載のある神社)とされ、以後、有力武将の信仰があつく、歴代大友氏の尊崇を集め続けました。
そして、南北朝・室町時代の守護大名「大友親世」によって、社殿を現在地にうつされたと伝わります。
このときに元の神社が「奥宮」とされ、山名も「本宮山」と改められたのです。
明治時代には、新たに設けられた近代社格制度(新たに神社を等級化した制度)で国幣中社となりましたが、社格制度が廃止されたのち、現在は神社本庁がさだめた別表神社とされています。
【社務所受付時間】
午前9:00~午後4:30
*新型コロナウイルスの影響で流動的なため、事前に電話で確認することをおすすめします。
【御朱印】
・社務所にて:午前9:00~午後4:30
・御朱印代:¥300
・オリジナル御朱印帳:¥1,500(御朱印代込み)
藤の花とカワセミをモチーフにデザインされたオリジナル御朱印帳があります。
【主な祭礼】
「西寒多神社」には2つの「式年祭」があります。
1つは「神幸大祭」で3年に1度開催され、地区の五穀豊穣や無病息災を祈願するお祭りです。
神輿や色鮮やかな太鼓山車が周辺地区を練り歩き、夕刻になると神輿は、みそぎを行った後に境内で火の中を勢いよく渡ります。
もう1つは、33年目ごとの例祭の日 (4月15日)に行なわれる「御神衣祭」。
「宇佐神宮」の33年ごとの式年遷宮(周期を定めて社殿を更新し、新たな社殿に神体を移すこと)と関連したものと考えられ、ご祭神の神衣を新調して納めます。
また、毎年5月3日から5日までは「ふじまつり」が開催されます。
樹齢450年の藤の花と、境内に続く庭園では樹齢150年のつつじも見頃を迎え、期間中は多くの参拝者でにぎわうそうです。
まとめ
大分県大分市にある「西寒多神社」は、本宮山に「奥宮」が鎮座し、そのふところに社殿をかまえています。
豊後国一之宮として歴代の武将からあつく信仰されてきました。
家内安全、交通安全、精神安定、縁結びなどにご利益があり、また農業、食物、火などの守り神としてもあがめられています。
また、樹齢450年の藤の名所として人気があり、境内へ続く石造りのアーチ橋・萬年橋は県の指定有形文化財です。
藤棚が満開になるゴールデンウィークの頃には「ふじまつり」が開催され、大勢の観光客の方も訪れます。
風情ある景色を楽しみながら、ぜひ参拝してみてはいかがでしょうか。